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夜空のシャンデリアが点灯☆荒木一郎 [★Japanese Pops]

 昔聴いた曲のメロディーとか歌詞が、何の拍子か突如として脳内再生される時がある。

 今年の春先、わたしにグループサウンズ(GS)の回帰ブームが起きていた。そこに「真っ赤なハートを君に~ヘイヘイ、マックス」という曲が降って湧いてきた。

加山雄三と一緒にやってたグループかな?と思ったら「荒木一郎」の曲だと家人が教えてくれた。「お母さんが女優さん(厳しいお姑さん役)で、女性トラブルがあった人?」という記憶しかなかったわたしに「いとしのマックス」を皮切りに~荒木一郎ブームが巻き起こった。

まるで、~[ぴかぴか(新しい)]夜空のシャデリアが点灯~したみたいに。
荒木一郎1.jpg
当時、幼稚園ぐらいの年齢だったから
知らないことだらけなので、興味津々
 「 空に星があるように: 小説 荒木一郎 」を読んでみた。

 冒頭、前書きが長くてしびれを切らしそうになった。高校生時代の話は「愛と死をみつめて」のマコとミコみたいな純愛物語を想い描いていたから、おませな男女交際ぶりにすっかり戸惑ってしまった。女の子にもてて、好かれて、女優さんたちとの交遊録も色々・・・。
 華麗なるスターの道を歩んでいったこと。才能が開花した作詞・作曲で、日本初ともいえるシンガーソングライター誕生とは新鮮な驚きだった。見た目はぜーーんじぇん好みじゃないけど、知り合ったら最後だな、危なく魅かれちゃうだろうね~用心しなくちゃいけないタイプ。
 愛犬の名前がマックで「ヘイ、ヘイ、マックス」って作詞・作曲しちゃうって楽しい話もあった。泣いている女の子を慰めるためだったり、人(女性)の役に立ちたくて曲作りというフェミニストぶり。音楽のベースにモダンジャズがあるから、シンコペーションが先に浮かび、言葉でリズムを探すとか・・・。天才肌は容易く名曲を作れてしまうのね。音楽の神様からのメッセージを受ける能力(アンテナ)を与えられているとしか思えない。
 読み終わったら、自叙伝なのか小説か?わからなくなった。ユニークな内容に仕立て上げている様は、マジシャンでもある彼の手によるものだからかな?。
実は、もう一冊読んだ本
後ろ向きのジョーカーのほうが面白くて好き。
荒木一郎2.jpg
小峰譲次(ジョー)の行方が気になる結末
「萩本欽一と塩辛だけは、オレの前に置くな!」
という台詞が気に入っちゃった。
 
 『今夜は踊ろう』の「星の光がステキな夜空のシャンデリアさ」が奮ってるし、楽しくて、心地のよいリズムに踊っちゃうよ~ゴーゴー[るんるん]
 
『ジャニスを聴きながら』
歌詞とメロディーが斬新でポップ。スキャット風のコーラスがいい感じ。「女将さん時間ですよ~」か「11PM」が始まる時の音楽みたいで、懐かしさがあった。

「街はコカコーラ ふるさとは売られていた」「人生はつかのまのゲーム」「まぼろしの賭けに負けた時は さみしさに涙をふきながら ひと寝入り それだけの事なのさ」ってなんなのさ、気障でカッコイイ!!  (ジャニス・ジョプリンの声質が好きになれないから、彼女の曲は聴きたくないけど)。

 どっこい、昭和の男だぜ。こんな気概のあるタイプはもう出てこないし、今どきは、猫も杓子もシンガーソングライターだけど、ゴキゲンな曲は望めそうにない。ザ・テンプターズのヨッチン(松崎由治)がシンガーソングライターのはしりだと思っていたので、元祖ともいえる荒木一郎の存在を知ることができたのも、何かのお導きだったのかもしれない~だから、曲が降って湧いてきたのかしら・・・?。

タグ:昭和

青空百景☆☆星空月影 [★Japanese Pops]

ムーンライダーズの『青空百景』の中に入っている曲
「物は壊れる、人は死ぬ、三つ数えて、眼をつぶれ」
 
この曲は、わたしの
物が壊れた時のテーマソングみたいなものです。
青空百景.jpg
「物故」という言い方があるけれど
 「物がぶっ壊れる」は「物故」から来てるんじゃないかと思うのね。人に例えて、生まれた言葉なのかも・・・?って、勝手な解釈です。
 
 青空百景☆☆星空月影
 青空に百景があれば、星空には月と影があるわ・・・なんてね~。
 明るく澄んだ「青空」とは、言えない歌の多いアルバムなんだもん。
ムーンライダーズらしいっちゃ、らしいけど。
どっちかといえば、「星空月影」って感じがする。
  
ところで、このアルバムは当時レコード会社に
勤めていた方から頂いたもので
サイン入りのサンプル盤
販促品だったのかしら?
青空八景 鈴木慶一氏.jpg
「Moon Ridersでござ~い」なんて
鈴木慶一氏らしいなって思う。
 
 鈴木慶一氏とは、2度ほどお会いしたことがあって、最初は音楽の話をしていたのに、脱線して、別府の話になって、慶一氏から岡田徹氏が、昔(高校か大学のとき?)別府温泉へ旅をし、『別府大仏』に行き、大仏の胎内に入るという、貴重(奇怪)な体験をされたという面白い話をお聞きした。もう30年以上前に大仏は取り壊されているので、岡田氏から直に詳しいことをお聞きしたいくらい~私も入ったことがないうえ(怖かったし~入れたの?って思う。)外から眺めるだけで、胎内に入る人はごく稀で、少なかったんじゃないかしら・・・。大仏さんはコンクリートの他に人骨も混ぜられていたんだもの(キャーッ)。慶一氏の「木戸銭」を払って中に入ったらしいという表現が印象的で、その時にまるで、「見世物小屋風だわ」と感じたことを思い出します。
 メインブログの「物は壊れる」のはみだし記事でした。

アメノウズメの「東京ブギウギ」 [★Japanese Pops]

服部良一氏が、その著書(「ぼくの音楽人生」)や「上海ブギウギ1945」で『上海』という街なくして、「蘇州夜曲」は、誕生しなかったと語っているように、「東京ブギウギ」も実質的に生まれたという都市『上海』は、私にとっても、何度訪ねても、奇妙な魅力のある場所です。上海の街に滞在すると、エネルギッシュすぎる喧騒に巻き込まれながら、まるで前世に、ここで生き、生活していたような懐かしさと安堵感が呼び覚まされるからです。

そう、『心ズキズキ、ワクワク』な感覚です。

ところで、「東京ブギウギ」の大ヒットで「ブギの女王」と冠のついた、大歌手=笠置シヅ子の生い立ちから歌手引退までと、彼女が活躍した時代のエピソードを綴った本『ブギの女王・笠置シヅ子』~この本は、ラジオ番組の『小沢昭一的こころ』を聞いて知りました。

 

元気で面白いおばちゃん。コミカルな歌手で女優という、ほんの一面しか知らなかったので、その生き様~養女として育ち、宝塚の試験に受からず、大阪の松竹歌劇団で活躍していたということ。ジャズ歌手としてデビューし、「スヰングの女王」と呼ばれ、戦中は「敵性歌手」というレッテルを貼られたり・・・。はたまた戦後は、婚約者が急逝し、シングル・マザーとして波乱の人生の中、真っ直ぐに生きた生涯を知りました。彼女のような歌って踊って演技(喜劇も悲劇もこなせる)という天賦の才能を持つ人が、残念ながら、これから出てくることはないとも思いました。また、美空ひばりが、笠置シヅ子の歌を歌って「ベビー・笠置」と呼ばれていたということなど、全く知らなかったので、昭和の流行歌の音楽史をも知ることができました。

著書では、笠置シヅ子は「平和の喜びを体全体で叫ぶように歌う」、「敗戦後の暗黒時代を照らした最初の"アメノウズメノミコト"」という件がありました。私の大好きな神楽~ダンシング・クイーンの『アメノウズメ』は、お多福の面で演じられることもあり。八時二十分の眉毛の持ち主、シヅ子さんのお顔が重なりました。

歌え、踊れよブギウギーーー、ヤァーーー!!

服部良一氏いわく、『東京ブギウギ』のイントロ部分に"名残"があるというアンドリュース・シスターズの『ブギウギ・ビューグル・ボーイ』・・・そういわれれば??。


R.I.P.Kazuhiko Kato ☆人生は終りなきバカンス☆ [★Japanese Pops]

  • 『人生は終わりなきバカンス』と誰かが言った。
  • 『日々は果てしなきパーティ』とまた誰かが言った。

 いささか曖昧な記憶ですが、こんな内容の加藤和彦氏のナレーションで始まるラジオ番組がありました。「和彦・ミカの短すぎる夜」やケメこと佐藤公彦氏と出演していたラジオ関東「Oh!シンディ」などを聞いて育った世代です。

レコードKazuhiko Kato.jpg
 実家で眠っていたレコード♪今はまだ、針を落とす気にはなれない・・・。
 
 加藤和彦氏の訃報を知ったのは、『Twitter』のタイムライン上でした。
5月にトピックで「AL GREEN」、「え、アル・グリーンが?」と、情報に踊らされたことがありました。同姓同名のDJ、アル・グリーン氏の事で人違いだったという顛末。いち早く情報が伝わるTwitterならではの出来事でした。この一報も最初は何かの間違いかと思いました。 タイムライン上でも、私にも衝撃は大きかったのでした。
 一昨日(10月19日)朝日新聞朝刊を開いたら、北山修氏の追悼記事が目に飛び込み、噛り付くように読みました。最後の一節「医師として、友人としては、実に無念である。」には、心がひどく痛みました。
 
 生のステージを見たのは、「サディスティック・ミカ・バンド」。「キャロル」とのジョイント・コンサートでした。このツアーは後に伝説のコンサートと言われていると聞きました。(真偽は定かではありませんが、当初「キャロル」が前座だったのに途中から逆転してしまったとか・・・。)
私が見たときは、「ミカ・バンド」が先でした。
 加藤氏がMCで「〇〇市のお客さんは大人しいですね。」と言ったのがとても印象に残っています。 でも、「キャロル」のステージが始まるやいなや総立ちに近い状態になり、ステージ前に観客が押し寄せ、もちろん私も駆け寄ってしまいました(笑)。そんな私たち中高生の様子をミカ氏が舞台の袖(上手)から腕組みをして見下ろしていたものですから、ばっちり目と目が合っちゃいました・・・。「ミカ・バンド」目当てだったのに、この変わり身の早さです。
 「ミカ・バンド」、トロピカルなシャツと白いパンツのステージ衣装がカッコよく、シックで洗練された華やかさがあり、素敵だった・・・。(少女時代の私にとって、今野雄二氏や加藤和彦氏は憧れのタイプの男性でした。)
 
 昨日、トッド・ラングレンのことに触れた記事があったっけ・・・と思い出し、石原信一氏の『Y.Rインタビュー』切抜きを探し出しました。見出しを読んで驚きました。『いいレコードを作ろうと思うなら自分の人生が充実していなければダメだって思うんですよね』とあったからです。
これは、79年「パパ・ヘミングウェイ」レコーディング前のインタビューで『僕は、楽器が好きで、ギターばっかり弾いているという人じゃない、いわゆるミュージシャンじゃないんですね。こういうのをやったらおもしろいとか、はやるって感じで作るのじゃなく、人生の副産物がレコードになった感じなんです。』とありました・・・。
また、『僕の場合、こうやってインタビューやってるとか、食事してるのとか、すべてが音楽なんです。スタジオに入って音を出しているだけが音楽じゃないんです。だから、音楽以外のほうが重要だと思いますね。』とも・・・。
 
 トッドのことはプロデューサー業のことに関して~『この間、トッド・ラングレンに会ったら、彼も他人のは一週間で仕上げちゃうけど、自分のは延々いつまでもやってても不満は残るって言ってました。』という内容でした。
 
 あらためて記事を読み返すと、当時の妻であり、最高のパートナーだった安井かずみ氏のことは何も語っていませんが、この自身のスタイルを変えることなく、終始一貫とした方だったのだなと偲ばれました。
 
 『人生は終わりなきバカンス、日々は果てしなきパーティ』~意味もなく、ただ空しく響いてくるだけの言葉になりました・・・。
 かつての文科系少年・少女たちに、見知らぬ音楽の世界への扉を開き、夢を与えてくれた。その影響力は、静かな波紋が、徐々に大きく広がってゆくかのように、次第に思い知らされてゆくような気がします。私たちの心の湖面の上で・・・。
 
 どうぞ、安らかにお眠りください。そして、ありがとう!。

買物ブギー [★Japanese Pops]

ビバ笠置シヅ子!!

服部良一生誕100周年記念企画 ブギの女王 笠置シヅ子の買物ブギーを聴いて、"「おっさん連呼歌唱方法」研究なう"とTwitterでつぶやいたら、こちらのYouTubeの「買物ヴギ」を教えていただきました(ありがとうございます)。https://www.youtube.com/watch?v=BfO4xR9qza0

1950年の貴重な映像が拝めるのですから、ほんと凄いです。 歌詞も潔く、清々しいです。

こちらの全曲集、Disc2とDisc3にヴァージョン違いで2曲入ってますが、当然のことながらどちらも歌詞は同じ(放送コード用・不適当な部分削除)です。

東京、名古屋、大阪、そして博多とブギウギ大会~♪、金太郎飴状態さながら、ご機嫌に楽しくて最高です。「ジャングル・ブギー」などは彼女にしか歌えないのではないかと思うくらいの弾けっぷり。こちらも是非、真似てみたい歌唱法です。哀愁が込められた「セコハン娘」なども素晴らしい曲。日本の女性ポップスシンガーの草分けだと改めて知らされる珠玉曲の数々。景気悪いのなんかぶっ飛ばせ~♪な感じになります(わーーぉ!)。


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