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N.Yamaくんへの伝言▷「Twitterの井戸端会議」 [Letter]

N.Yamaくんへ

 数年前、N.Yamaくんの死亡説が流布して、その後に生存が確認されたって話を騒動の半年後ぐらいに知りました。その時、終わった話とはいえ「オモチャにされて、ヒドイ話よね。」と夫にその顛末をかいつまんで話したら「N.Yamaくんは、一躍『時の人』になったわけだ。」なんて言ってのけてました。ま、「Twitterの井戸端会議」のほうも、殿方のツイートばかりのようだったから、男同士じゃ許されるレベルなのかしら。そういえば、私が同窓会(女子校)の幹事をしていた時、前の幹事から病死したと聞いたクラスメイト宅に(ご永眠の詳細のため)連絡をいれたら本人が、すこぶる元気で電話に出て、「誰がそんなことを言い出したの!?」と(同窓会の案内がこなかったことにも)プンプン怒ってました。その時にうちの母いわく、「亡くなったと噂される人は長生きするのよ」、だからN.Yamaくんも、長生きしそうだね。年寄りが言ってたことだから、確かだと思います。

 ところで、ずいぶん前に風の噂というか人づてに「アメリカの少数民族(アパラチア山脈辺りとかアーミッシュ)とか幾つか宗教音楽」を調べに行くとか本を出す予定とか聞いたんだけど、これもガセなのかしら、どうなったのかな? 面白そうだし興味があるから、是非、出版の運びになってほしい。ぜったい、本買います!。それから、正しいお箸の持ち方は、身についたかしら・・・でも、直ってなくても許してあげるから、心配しないでね。

 N.Yamaくんとのご飯は決まって「かつ吉(渋谷)」で、トンカツ食べない私も大満足、美味しかったわ。ジョン・ベルーシのお買い上げレコードって、なんだったっけ?私も夫も、聞いたのにすっかり忘れちゃってます。

 井戸端会議で誰かさんのつぶやきの中に温泉地へ移住とかあったね・・お引越しは、もうおすませなのかな。新天地でもお身体に気を付けて、お元気で。ご機嫌よう

花言葉は「運命をひらく」
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プリムラ・ジュリアンの薔薇咲き
(先月、花屋さんから誕生月のプレゼントとして頂いた)

初めて出会った日そして最後に会った日 [Letter]

 数年前のこと、哀しい知らせの便りが届いた。 それは、友人のご主人からのもので「生前親しくしてもらっていた妻が癌で他界した。癌を告知された時は、すでに手遅れだった・・・。」という内容だった。いつもと変わりのない年賀状をもらって数か月後のことで、とても驚いた。闘病中だったのに気丈にふるまっていたのだ。 すぐにご主人へお悔みの電話を入れた。
 この頃、"Rumer "の「Boys Don't Cry」が、わたしのヘビロテCDだった。電話を切ったあと、ふたたびこのCDを聴き始めたら・・・
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 「It Could Be the First Day (Richie Havensのカバー曲)」になったとき、わたしはとめどない涙で嗚咽した。

 彼女と初めて出会った日のこと、そして最後に会った日のことに思いを巡らせた。音楽マニアの男友達を介して彼女と知り合った。逢った途端に意気投合し、まるで旧知の仲のようになった。
 本人の希望で、葬式の類はせずに海洋散骨となった友、海で眠ることを選んだとは、なんとも彼女らしい。この曲を聴くたびに、遠ざかりゆく、彼女との懐かしい日々を想う。

音楽評論家 増渕英紀さんへの手紙 [Letter]

 増渕英紀様へ

 前略  増渕さんにお手紙をさしあげるのは、三十年と少し振りのことです。

 昔、九州のある地方都市に住む女子高校生から『ユートピアについて、詳しいことをご存知なら教えてください。』という内容の手紙をワーナーBレコード社を通じて受け取ったことを覚えていらっしゃいますか?。その高校生が私です。

 実は増渕さんから直々にお返事をいただけるとは思ってもみないことでした。また、封書の裏にはご自宅の住所も書かれていました。

 そのお手紙は実家で紛失してしまい、もう手許にはありませんが、『トッド・ラングレンは、すばらしいアーティストだけど、あなたはまだ若いのだから、トッドに固執しないで、もっと色々な音楽を聴かなければいけないよ。』という内容だったことは今でもよく憶えています。

 当時はなにせ生意気盛りな年頃ですから、正直そのアドバイスには「だって~好きなものは仕方ないもん。」と思っていました。(でも、お手紙を頂戴したお礼の返信はしたかと思います。)

 増渕さんの『色々な音楽を聴くように』という言葉を時折、思い出して心がけるようになったのは、二十歳代になってからの事でしょうか・・・。そして年を重ねて、トッドは今でも一番好きなミュージシャンでファンです。でも、トッドがすべてではない私でもあります。

 十四年前まで七年ほど東京に住んでおりました。1990年5月に九段会館ホールの『エイモス・ギャレット、ダグ・ザーム、ジーン・テイラーBAND』公演に行ったとき、一緒だった友人がロビーで増渕さんを見かけたと教えてくれました。しかし、開演間近のことでしたので、結局お会いすることができませんでした。またいつの日か、ご縁があればチャンスに恵まれるのでは?と思っておりましたが、今日に至ってしまいました。

 私の音楽を通じて知り合った友人たちに、この増渕さんのお手紙の話をすると皆、口をそろえた様に「なんて良い話なんだろう。」と言います。

 増渕さんのような素敵な音楽評論家さんがいらっしゃるということを、同じく音楽を愛する皆さんに知っていただきたいと思い、また増渕さんへ感謝の言葉をブログを通じてお伝えしたい趣旨で手紙を書きました。

 その節はアドバイスを頂き、ありがとうございました。これからも、色んな音楽を聴き続けていこうと思っています。

 最後になりましたが、どうぞお身体に気をつけて。いつの日か必ずやお会いできる日が来るようにと願っています。お元気で!                         かしこ